当院が提唱する「Gait Medicine(歩行医学)」とは
歩行は、人が日常生活を送り、社会と関わるための基本的な営みです。
一方で、医療の現場では、歩行に関わる問題は整形外科、皮膚科、循環器、糖尿病診療、神経内科、リハビリテーションなど、それぞれの専門領域から捉えられてきました。
しかし、実際に人が「歩けるか」「歩き続けられるか」は、身体の状態だけで決まるものではありません。
足に合った履物を使用しているか、安心して歩ける道路や住環境があるか、出かけたい場所や目的があるか、人とのつながりがあるか、歩くことへの不安がないかなど、さまざまな環境的・心理的・社会的な要因が歩行に影響します。
そこで当院研究チームは、歩行を身体機能だけでなく、環境や心理社会的要因、社会的な意味との相互作用から捉える医学的・公衆衛生的な枠組みとして、「Gait Medicine(歩行医学)」を提唱しました。
この考え方を提示した論文は、国際学術誌「Frontiers in Public Health」に掲載されています。
歩行を「一つの現象」として捉える
歩行に関わる問題は、身体のさまざまな部位や機能だけでなく、その人が暮らす環境や社会との関わりによっても変化します。
例えば、歩行に必要な身体機能が保たれていても、外出への不安や歩きにくい道路環境があれば、実際に歩く機会が減る可能性があります。
一方で、身体的な制約があったとしても、適切な履物や住環境、外出する目的、家族や友人などの社会的な支えによって、歩行や社会参加が支えられる場合があります。
このように「歩く」という行為は、身体だけで完結するものではありません。
Gait Medicineでは、歩行に関わる問題を個々の疾患や身体機能だけに分けて捉えるのではなく、「歩行」という一つの臨床・公衆衛生上の現象として統合的に捉えることを目指しています。
Gait Medicineを構成する3つの視点
Gait Medicineでは、歩行を主に「身体」「環境」「意味・社会的文脈」という3つの視点から捉えます。
Somatic(身体)
筋肉、骨・関節、神経、皮膚、血流など、歩行に関わる身体の状態を指します。
歩行能力を維持するためには、足や関節だけでなく、神経や筋肉、血流など、全身のさまざまな機能が関係します。
Environmental(環境)
履物、道路、住環境、交通手段など、人が実際に歩くことを支えたり、妨げたりする環境を指します。
身体機能だけではなく、「どのような場所で生活しているか」「安全に歩ける環境があるか」といった視点も、歩行を考えるうえで重要です。
Meaning(意味・社会的文脈)
「どこへ、何のために歩くのか」という目的や、家族・友人との関係、仕事や社会参加、心理的な要因など、歩くことがその人にとって持つ意味や社会的背景を指します。
歩行は単に移動するための動作ではなく、外出や人との交流、仕事、趣味など、日々の生活や社会とのつながりにも関係しています。
3つの視点の相互作用から「歩く」を考える
「身体」「環境」「意味・社会的文脈」は、それぞれ独立して存在するものではなく、互いに影響し合っています。
例えば、身体機能に問題がなくても、歩きにくい道路や外出への不安があれば、歩く機会が減ることがあります。
反対に、身体的な制約があったとしても、適切な履物や環境、外出する目的、周囲からの支援などによって、歩行や社会参加が支えられる場合があります。
Gait Medicineは、このような相互作用を含めて「歩く」という現象を捉え、臨床医学と公衆衛生、さらに人を取り巻く環境や社会との接点を考えるための共通の枠組みを目指しています。

歩行医学のこれから
「Gait Medicine」は、現時点で完成した医学領域として確立されたものではなく、歩行について考えるための概念的・臨床的な枠組みとして提案されたものです。
今後は、この枠組みに基づく評価や介入が、歩行機能や生活の質、社会参加などにどのように関連するのか、また臨床や公衆衛生の現場でどのように活用できるのかについて、実証研究を通じた検証が必要です。
当院では、さまざまな分野の研究者や医療者とともに研究を重ね、「歩く」という営みを多角的に捉える新たな視点の確立を目指していきます。
下北沢病院が考える「歩く」ということ
歩行は、身体機能だけで起きている現象ではありません。
身体の状態はもちろん、履物や道路、住んでいる環境、外出する目的、人とのつながりや街との関係など、さまざまな要因が重なって、一人ひとりの「歩く」が成立しています。
これまで医療は、それぞれの専門領域から歩行に関わる問題に取り組んできました。それらの専門性を大切にしながらも、人が実際の生活の中で歩くという現象全体を見る視点も必要だと当院では考えています。
Gait Medicineを通じて、臨床、公衆衛生、環境など、これまで別々に議論されることの多かった領域をつなぎ、「歩く」ということを総合的に考えていきます。
論文情報
論文名:[Gait Medicine: An Interdisciplinary Field Centered on Walking as a Vital Sign]
論文URL:https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpubh.2026.1895889
掲載誌:国際学術誌「Frontiers in Public Health」